STORY 開発秘話

オーディオケーブルの開発秘話(1)
   史上最も売れた「超高級オーディオケーブル」は、
      実は誰もが「絶対売れない」と断言したケーブルだった

◆ ものすごく高価な機材に、どうして安いケーブルを繋いでいたのか?

 今から20年くらい前、1980年代後半の頃の事でした。

オーディオファンや音楽関係者が集まった時に、良く言われている「素朴な疑問」がありました。

ものすごく高価な機材に、どうして安いケーブルを繋いでいるのか?

と言うことです。当時、オーディオファンや音楽関係者は、めちゃめちゃ高価な機材を使用していました。当然の事ながら、そんな高価な機材を使っているのですから、それに見合ったケーブルを使いたかったのですが、市場には見当たりませんでした。

もともとそんなケーブルは、世界のどこにも存在しておらず、機材だけを高級にすれば「よい音」になるのでしょうか?

それとも、どこかに存在していて、我々が知らないだけなのでしょうか?

◆ 世界に通用する日本製の高級ケーブルを作ろう!

そう考え、調べてみた結果、欧米の高級機材ユーザーの一部の方は、スイスの医療機器メーカーが出している超高級ケーブルを使用している事がわかりました。

入手が困難な状況で、なかなか簡単には手に入りませんでしたが、何とか取り寄せて調べて見ました。「頑丈な作り」、「伝送効率の高さ」と、「抵抗の 少なさ」。そして、そこに使われていた「特別な技術」。言ってみれば、海底ケーブルに非常に近いケーブルだった事がわかったのです。

これを、何とか自分たちで出来ないのだろうか?

世界に通用する日本製の高級ケーブルが作れないだろうか?

そう考え、あらゆる人脈を使い、大手企業の研究室等の協力もお願いして、何とか試作品ができたのが1987~1988年頃の事でした。しかし、原材料が高価な為、大量生産が出来ず、かなり高価なケーブルとなってしまいました。

とても一般の方の手に入るものでは無く、1995年頃まではレコード会社の制作室等でのプロユースに限定されて使われていました。

一方、このうわさが一般のオーディオファンの方にも伝わり、「どうしても欲しい」と言う声が上がり始め、1996年頃からごく一部の、わずな人達の手に渡り始めました。しかし、この時点でも、大量生産できなかった為、1本何十万円もする超プレミアム製品だったのです。

1990年代後半に、何とか素材が安く大量に入手できるようになり、さらに良いものが安く生産できる計画が立ちました。そこで2000年に、満を持して開発したのが3万円クラスの「S/A LAB(スーパー オーディオ ラボラトリ)」でした。

◆ 89%以上のプロが太鼓判を押した高級オーディオケーブル

このような経緯で高級ケーブルを開発してきたのですが、「従来のプロ仕様より良い製品が、十分の一の価格で出来るようになった」とは言え、1本3万円以上の製品です。

実際に市場に受け入れられるかどうかは、正直な話「不安」でした。

そこで、半年以上の時間をかけ、社長の小原自身が見本品を持参し、販売・雑誌・スタジオ等の音楽関係者のもとを訪れて意見を聞いてみました。

 その結果、ほとんどの音楽関係者にこう言われました。

 「性能以前に価格がネックだ。これは絶対に売れない。」
 「こんな高いケーブル。いったい誰が買ってくれると思っているんだ。」
 「君は何もわかっていない。」
 「悪いことは言わない。止めた方が良い。」
 「これだから素人は困ったものだ。」

ある大手販売店では、3秒で「これは絶対に売れない。」と断言されました。

あるレコード会社では「こんなケーブル、ウチでは使えない。」と、見本のケーブルを投げ返してきました。

もう結果は散々でした。89%以上のプロが「絶対売れない」と太鼓判を押した高級オーディオケーブルが出来た瞬間でした。

この時、AETには発注済の初期ロット分、数百本の製品が納品されていました。販売金額にして1千万円以上の在庫です。89%以上のプロが「絶対売 れない」と太鼓判を押した高級オーディオケーブルですが、幸運なことに秋葉原の専門店を中心に置いてくれる店舗がいくつか見つかりました。

もちろん販促費はありませんでした。3万円以上のオーディオケーブルを、ただ店頭に並べてもらっただけでした。

とりあえず「少しでも売れてくれれば」と、祈る気持ちで販売を開始しました。

◆ 夜中も鳴り止まない「お客様からの感動の電話」

しかし、フタを開けてみたら、何もしていないのに販売開始後1週間で売れ始めたのです。

通常、オーディオケーブル等の新製品は、販促等を実施しても、ユーザーにその情報が伝わるのに時間がかかり、売れ始めるには1ヶ月~3ヶ月程度かかるのです。

したがって、1週間で売れ始めることは、非常に「反応が早い」事を意味しています。AET社内も忙しくなってきました。

実は、この時のAETの実態は、東大阪とか足立の町工場とほとんど似た状況で、社長の小原自ら深夜まで出荷の準備に追われていました。

そんなある夜、深夜の12時半過ぎに電話が鳴り始めました。

一人出荷作業に追われていた小原が電話を取ると、そこには興奮した声が聞こえてきたのです。

「すばらしい。」
「こんな音が聞きたかった。」
「こんな音楽を聴けて自分はなんて幸せなんだ。」
「こんなケーブルが欲しかったんだ!」

あまりの音楽の良さに興奮し、我を忘れ、時間を忘れ、ただただ感動を伝えたくて、深夜にもかかわらず、何人ものお客様が電話をかけて来てくれたのでした。

あるユーザーさんは、「私は今まで、こんな音をずっと捜し求めていた。今日、やっとあなたのおかげで出会えることが出来た。この感動を伝えたいので、是非我が家まで音楽を聴きにきて欲しい。」と熱心に誘ってきました。

メーカーの人間にそう言われても困るのですが、あまりの熱心さにつられて、小原は誘われるままに静岡まで訪問したそうです。

小原は、この時の「驚き」と「うれしさ」を忘れることは出来ないといいます。

89%以上のプロが「絶対売れない」と太鼓判を押し、1千万円以上の在庫を抱え、倒産・廃業の寸前まで追い込まれていたのです。

それでも「良い製品を作れば売れるハズだ。」と信じていました。いや、「信じたい」と願っていたと言うのが正直なところでした。

粗悪な製品にもかかわらず「派手な広告や宣伝」で販売する「売れれば良い」と言う風潮の中で、「原材料の違い」「日本の技術力の高さ」そして「AETの良さ」をわかってくれるお客様が、一人でも二人でもいて下されば、と言う気持ちでここまでがんばって来たのです。

この時から、昼夜を問わず、お客様からの「感動の電話」がかかり続けてきたのです。

そして、「S/A LAB(スーパー オーディオ ラボラトリ)」はその後も勢いは留まる事はなく、2003年までに4世代をリリースし、大人気の高級オーディオケーブルの座を築いたのです。

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