STORY 開発秘話

オーディオケーブルの開発秘話(7)
 
◆  HIN AC RevB(リバースBと読みます)

 これは、国産初のハイエンドケーブル「HHシリーズ」の後継機種に当たります。自画自賛になりますが、国産で初めて成功したハイエンドケーブルと言えます。

 ちなみに現在、aetでは4種類の価格のラインナップを提供していますが、コストパフォーマンスでは、HINシリーズがおすすめです。市販の同等の高級ケーブルとは、大きく差がついた製品だと自負しています。

 HINシリーズより上位のSINシリーズ、SCRシリーズは「それ以上の絶対的な良さを求める人」の為に開発しました。逆にHINシリーズより安 価なHCRシリーズは、プロの現場での採用率が高いケーブルです。使用する機材が多く、ケーブルも大量に使用する為、極限までコストパフォーマンスを重視 したセッティングになっています。

 高級品を経験したことの無い人は、是非このHINシリーズを体験下さい。迷っている人は、ご自身の耳で、「どれだけの違いがあるか」を、そのインパクトを感じていただきたいと願っています。

◆ リスナーの感覚を発展させたHHシリーズ開発秘話

 HHシリーズ第一世代は、1990年頃発売開始されたオーディオケーブルです。開発秘話1でもふれましたが、海底電線に使われるケーブルを参考に作ったら、ホースの用に太くなったので「ハイエンドホースシリーズ」と命名しました。略してHHシリーズです。

 実は、このHHシリーズが実質上の「日本で初めての国産高級ケーブル」と言えます。そのため、それ以降のすべての製品にとっての「目標」や「比較する為の指標」となってきました。

 HHシリーズが開発されるまでは、国内でのオーディオケーブル市場と言えば、高くても1本5千円から1万円程度の商品しかありませんでした。

 そんな時に、1本3万円~5万円のケーブルを売り出し、「ハイエンドケーブル」という「カテゴリー」と「市場」を実質上作っていったのが「HHシリーズ」だと自負しています。

◆ 業界からは、完全に無視されたHHシリーズ

 1本5千円から1万円程度の商品しかなかった市場に、1本3万円~5万円のオーディオケーブルを売り出したのですから、「さぞかしインパクトがあっただろう」と思われるかもしれません。しかし実際は、非常に「静かなスタート」でした。

 実際、HHシリーズを発売した時は、業界からはまったく相手にされませんでした。aet自体が異業種参入組で、オーディオ業界では「実績」も「知名度」もまったくゼロだったのが原因です。

 「オーディオケーブルの実績も無い企業が、無駄に高いだけの商品を作っている」

と言う評価を受け、業界内ではバカにされ嘲笑されていました。もちろん「扱ってくれる店舗」も「ニュース記事を掲載してくれる雑誌」も、最初はまったくありませんでした。

 誰にも相手にされない、本当に「静かなスタート」でした。

◆ 実際に聞いて確かめてもらおうとしたが、、、

 以前も書きましたが、小原は「いろんな所に持って行って、実際に聞いて確かめてもうらおう」としました。

 ある有名な販売店に持って行った時の話です。そこの店長は、見ただけで聞きもしないで「だめだこれは。ウチでは扱えない。」と投げ返してきました。

 雑誌にも「画期的な高級オーディオケーブルが出来ました。」と、持ち込んだ事がありました。結局「意味がないから」と紹介してもらえませんでした。

 「評論家の方に聞いてみたら?」と言われ、音楽評論家の方に試聴をお願いした事もありました。評論家の方から良い評価をもらえれば、雑誌等で紹介してもらえる可能性が出てきます。

 しかし、返って来たのは「存在価値や意味が感じられません。それに、音的に癖があるように思います。総じて記事を書くに値しませんのでお返しします。」と言う内容でした。

 通常では入手できない特殊素材を惜しみなく使い、技能賞等を持っている日本の最高の技術者と試行錯誤の末に完成した最高のオーディオケーブルです。

 品質には絶対の自信がありましたが、当時の音楽業界の方々は、なかなか認めていただけませんでした。


◆ 舶来礼賛の業界の中で、

 さらに当時のオーディオケーブル業界では、「高級ケーブルはアメリカ(USA)製でないとだめだ。」と言われていました。(これは「昭和」の頃の話ではありません。1990年頃の話です。)

 そんな「舶来絶賛期」に、無名の企業がいきなり「それまで無かった高級価格帯の国産オーディオケーブル」を出してきたのですから、業界の抵抗はかなり厳しかった訳です。

 それでも小原は地道に、販売店やスタジオ等、ケーブルを置いてくれそうな所を回っていました。実は小原は工業技術者でしたので、営業はまったく出来ませんでした。とにかく、「製品を持参して、実際に聞いて頂く」という事だけをお願いして回っていたのです。

 地道な努力の結果、やっと秋葉原に3~5店舗ほど、扱ってくれるお店が出てきました。さらに半年かけて、やっとの思いで秋葉原と大阪の日本橋に置いてもらえるようになりました。この時点でも、どの雑誌もまったく扱って頂けませんでした。

 業界内では、相変わらず「売れる訳はないのに、いつまでやっているのだろう?」という冷ややかな扱いのままでした。


◆ 耳の肥えた「うるさいお客」が太鼓判を押したHHシリーズ

 が、ここで大きな変化が起こり始めたのです。

 aetのケーブルを評価してくれた販売店さんが、「もっといい音は出せないの?」と言ってくる、耳の肥えた「うるさいお客様」にプッシュし始めたのです。

 そして、ある金曜日の夜中から、ユーザーさんからの「感激の電話」が、ひっきりなしにかかり始めたのです。

 この「感激の電話」は、もちろん販売店さんにも行ったようです。耳の肥えた「うるさいお客様」をここまで感動させたのですから、販売店さんも大喜びだったそうです。この実績に自信を付けた販売店さんは、その後、さらに多くのお客様に喜んでいただこうと、aetのケーブルを紹介してくれたのです。

 この後、2~3週間で急激に売上が伸びていきました。

 また、業界の評価もがらっと変わって、誰もが「これは最初からすごいと思っていた。」と絶賛し始めたのです。この豹変には小原も驚いたと言います。

 この後、社内はてんてこ舞いでした。半年くらいは、作っても作っても足りない状態が続きました。加工工場でもこなせなくて、応援に行った小原自身が両手腱鞘炎になって帰ってくる有様でした。

◆ 既存の業者が猛反発

 ここから売れに売れ始めたのですが、思わぬ自体が起こりました。

 既存の業者さんが猛反発し始めたのです。

 数社で徒党を組み、雑誌社に乗り込み「aetの記事を掲載したら今後広告を出さない」みたいな圧力をかけたり、販売店に乗り込み「aetの商品を撤去したら、自社の商品をさらに安く卸すしサンプルも付ける」等の交渉を始めたそうです。(これは後日、販売店や雑誌社の方から聞かされた話だそうです。) また、いわれのない非難中傷も経験しました。

 aetが高級オーディオケーブルを販売するまで、国内メーカーはほとんど高級ケーブルを販売していませんでした。国産高級オーディオケーブルの発売により結果的に「市場が3~5倍に増えた」とも言われています。

 aetは「市場を増やして活性化することに貢献した」と自負していましたが、現実には、既存の業者さんの誤解(猛反発)に苦しめられる事になるのです。

次回 HHシリーズ2 モニター飛ばし伝説 に続きます。
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